労働は「構想」と「実行」から成る
1. たまたま見た「100分de名著」で資本論を扱っていた
番組の最初から見たわけではないのですが、たまたま見たテレビ番組「100分de名著」でマルクスの資本論を扱っていました。
『人新世の「資本論」』の著者でもある斎藤幸平さんが指南役として出演されていました。
マルクスの資本論は名前だけは聞いたことあるくらいで、全く内容については知りませんでしたが、話している内容が面白く、ついつい見入ってしまいました。
特に興味を引いた言葉がタイトルの通り”労働は「構想」と「実行」から成る”ということでした。
しかし、資本主義が発展するとともに、労働の「構想」と「実行」は分断が進み、労働の魅力が減ってきているというのです。
2. 構想と実行が結びついた労働の例
構想と実行が結びついた労働の例として”土鍋づくり”を挙げられていました。
”土鍋づくり” という労働は以下の様な構想と実行から成り立っていると考えられます。
●どのくらいの強度にするか?どんな材料を使うか?いくらで仕入れて、いくらで売るか?色味はどうするか?作るときの道具は?etc・・・「構想」
●実際に材料を仕入れて、考えた道具で作る・・・「実行」
この構想と実行の両方に携われることに労働の魅力があるというわけですね。
イメージで言えば、陶芸家などの職人さんのような感じでしょうか。
3. 資本家により構想と実行は分断された
しかし、構想と実行を一人がやれば、作れる量にも限りがあります。
例えば、一人の陶芸家が作れる量には限界がありますよね。
これは、資本家にとってはあまりうれしい状況ではないのです。
どんなにお金を払って、たくさんの作品を買おうとしても、陶芸家の人には「そんな量は作れない」と断られてしまうからです。
つまり、資本家よりも陶芸家の方が立場が上になっているということですね。
そこで、資本家が考えたのが、職人さんの作業を”細分化”し”マニュアル化”することでした。
細分化された各仕事をマニュアル通りにこなせば、特別に職人のようなスキルが無くても、同じ品質の製品が作れるということを狙ったのです。
資本家にはお金があるので、各仕事につかせる労働者を大勢雇うことも可能です。
ここから、単純作業を繰り返す人をたくさん集めて、マニュアル通りに作業させる「ライン生産」の様な考え方が生まれたようです。
これが、構想と実行の分断の始まりというわけです。
様々な”構想”を練るのは、資本家の役目で、労働者はまさに”実行”するのみになったのです。
4.機械化が進むことで、人は”機械のパーツ”になった
さらにライン作業に機械が導入されることで、人は人ではなく、機械の一部、まさにパーツになってしまったというのです。
例えば、機械化される前のライン作業では、
●Aさん:パーツ仮止めする⇒Bさん:ねじを締める⇒Cさん:ラベルを張る
という作業があったとします。
ここに機械が導入されると、Aさん、Bさん、Cさんはただ、ラインを眺め、必要な材料が切れそうになったら、材料を補充したり、エラーが出たらエラー解除するだけの人になります。
人間がまさに機械の一部であるように思えてこないでしょうか?
そして、このような作業を通して、人間はスキルを学べるのでしょうか?
何も学べず、ただ機械の一部として働くのでは、確かに労働から魅力がなくなっていくのは納得ですね。
まとめ
労働には、「構想」と「実行」があり、現代では、「構想」と「実行」の分断が進んでいる職業がたくさんあるのかもしれません。
魅力ある労働にするためには、労働に「構想」を取り戻すことが必要の様です。
改めて、自分自身が日々行っている労働の『構想とは何なのか』を考えることは、労働の魅力を考えることにつながるのかもしれません。
私自身が、業務の中で重視している「作業マニュアルを充実化させること」も、やり方によっては、他人から労働の魅力を奪うことにつながっているのかもしれません。
この辺りは、また、考えをまとめて記事にしたいと思います。